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MESSAGEひだまりの想い

社会福祉法人 ひだまり
理事長

永田かおり

現在、私は理事長として法人を運営しつつ看護師とケアマネージャーの資格を有しています。
若い頃は市立長浜病院で脳外科や透析室勤務、そして長浜市の訪問看護をしておりましたが、29歳の時からこの活動を開始し今に至っています。
私には、現在、3人の子がいまして、女性が家庭を持ちながら仕事をすることの大変さも痛感してきた年月でもありました。その経験をもとに、女性がライフスタイルに合わせながら仕事を続けていけるような仕組みを模索し工夫してきたこともあって、今では多くの働くママさんたちが『ひだまり』で活躍してくださっております。実は私もシングル(シングルマザー)なんですけど、今の仕事に没頭しすぎてドクターの元旦那様とそれぞれの道を一生懸命頑張ろうと離婚しました。それで子供達3人とお互いにいろんな意味で支えながら活動してきたんですけど、その旦那さんはその後長い闘病生活の末亡くなりました。次女はお父さんの遺志を継ぎたいと医師を目指して頑張っております。そして長女は毎月月命日になると、一人でお仏さんに向かってお経さんを上げてくれています。
「そういった家族と今も歩んでこられた事を本当に幸せだと思います。

ここで、私の人生に大きな影響を与えた伯母を紹介させて下さい。
この伯母がいなかったら、今の自分はいなかったと思うほど、私にとって は大きな存在です。思い起こせば、平成13年、ちょうど次女を出産した頃、 ある日突然、伯母が私に言いました。「子供からお年寄りまで、世代を超えて誰でもいつでもふらっと立ち寄れる居場所を作りたい」最初 私は、伯母 が何を言ってるのかがわかりませんした。
今考えると、きっと伯母は、多世代がお互い様に支えあえる地域の居場所 が作りたかったのだと思います。その日から、二人三脚で居場所作りの夢 を叶える模索の日々が始まりました。
そうして1年半が過ぎた平成 15年3月に NPO 法人を立ち上げ、活動拠点となる空き家も見つかり、ようやく夢に向けた一歩が踏み出せるまでに至りました。
ところが、空き家の改修を始めた数日後、伯母が脳出血で倒れ、私は大き な岐路に立たれました。
たった一人で、この夢に向かって進むのか、それとも止めるのか・・。
当時、地域福祉について右も左もわからなかった私にとって、何かを立ち 上げるなんて不安で仕方なく、全てを白紙にする事も含め、苦悶の日々を 過ごした記憶が蘇ります。
しかし、結果として私は、伯母が人生をかけた夢を壊すことは出来ないこ いう思いで、一人で事業を立ち上げる事を決めました。
よく「どうして苦しくて地域福祉事業を立ち上げられたのですか・・」と、

ご質問をうける事があります。
だけど私には、決して、地域福祉を担って頑張っていきたいという壮大な目標があったわけではなく、ただ、一人の女性が掲げた夢に共感し、私に出来る事を伯母に代わって実践していこうと思っただけでした。だから、皆様にもぜひお伝えしたいのです。何かの活動のきっかけは、きっといろんなところに転がっていて、それがご縁で、生き方や繋がり方も変わるという事を。
その積み重ねが、時に新しい支援の在り方や未来を作るのではないかと実感しています。ひとつひとつのこ緑や繋がりを大切にして生きてほしいと願っています。こうしてNPO法人ひだまりは、平成15年6月に宅児・宅老デイサービスとして、高齢者の昼間の預かりから活動を開始し、翌年から障がい児保育や認知症の方の一時お泊り支援をスタートしました。
その後、高齢者の「通い」「泊り」「訪問」を一体的に支援できる「小規模多機能型居宅介護」や認知症の方の住まいとなる「認知症グループホーム」を開設しました。
また、障がい児さんが18歳を超えても地域で継続した支援できるようにと、各高齢者支援事業所において基準該当生活介護を備えました。障がい支援事業所で認知症になられた知的障がいの方の支援に困っているという相談をきっかけに、その方々を高齢者支援事業所で積極的に受け入れができるようにとしてきた結果、現在では、高齢者支援事業所と障がい支援事業所とが連携しながら一人の方を支える仕組みに発展しました。

写真:理事長

近年、地域包括ケアの大きな柱として「地域共生社会の現実」が掲げられた事で、「高齢者と子供」や「高齢者と障がい者」を結び付ければ良いのかと簡単に考えておられる介護事業者が出てきたように感じますが、私はちょっと違うと思っています。
何かと何かを結びつけて支援するのが「地域共生社会」ではなく、「地域にあるいろいろな困りごと」を皆で考え、支え合い、私たち事業者は必要に応じてそれを「まるごと」で支援する、無理にくっつけるのではなく、自然と支援へと結びついていく、そしてそれは、活動する地域によって形も違って当たり前なのだと・・。
そのような包括的な支援を、これからも継続していきたいと思っています。しかしながら、このように支援の幅を広げる一方で、社会的には高齢化が加速し、地元での高齢者施設だけでは受け入れができず、何人もの方が遠くの施設に入っていかれる姿をみてきたのも事実でした。多くの人は、介護が必要になってても住み慣れた地域で暮らしたいと願っています。だけどその願いが叶わず、違くの施設に入って人生の余生を迎える人も決して少なくはありません。遠くの施設に入ったら、だんだん家族の足も遠のき、繋がりも薄くなり、そんな孤独と隣り合わせの余生・・。
長年頑張って生きてきた人生の先輩方の最期が、こんな寂しいものでいいのだろうか、もし、自分だったら、住み慣れた地域で余生を送りたいし、もし施設に入り介護を受けるとしても、家族との繋がりや自分自身を大切した余生を送りたいと思うはず。じゃあ、そのために私に何ができるのか・・。

そんな自問自答を何年も繰り返し、勇気を振り絞って決めたのが、普段の暮らしの中にある当たり前の生活を大切に、をコンセプトにした「小さい規模の地域密着型特別養護老人ホーム」の開設でした。
そこで、平成27年に社会福祉法人ひだまりを設立し、地域密着型特別養護老人ホーム「わが家ひだまり」がスタートしました。
合わせて、訪問看護ステーションも開設し、地域を駆け回るコミュニティナースの充実に向けて歩み始めました。
現在ひだまりは米原市内に3拠点を構え約15の事業所展開しています。
これも私の理念と想いに共感して下った職員さんの努力の賜物だと思っています。
年をとっても認知症になっても、障がいを持って生まれたとしても、地域で住み続けるために・・。
私はこれからも、私自身が両親に教えられた「人に優しく、自分に厳しく」そして「継続は力なり」の気持ちを大切に、未来に向かって、私なりにできる活動をしていきたいと思います。

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写真:理事長